ワット・タートルアン(Wat That Luang)はラオス語で「皇塔」か「大仏塔」という意味で、ラオスの仏教で最も権威的寺院の存在で、ラオスの国宝とシンボルとも言えます。ラオスの国章と紙幣などにはワット・タートルアンのアイコンがプリントされています。毎年11月頃に全国一番盛大な祭り―ワット・タートルアン祭りがここで開催され、全国各地から僧侶が集まってきます。祭り最終日に行われる大托鉢は壮観で、ワット・タートルアン寺院を中心にタートルアン広場まで托鉢をする人で埋め尽くされます。
ワット・タートルアンはビエンチャン市区より5キロ離れた郊外にあり、敷地面積が8400平方メートルあり、ラオス最大の煉瓦造りの仏教建築です。全体は主に主塔と周りにある30個の衛星塔からなっています。基壇は3階あります。1階は基底部で、一辺69メートルの正方形の形をしています。東西南北の各面の真ん中にそれぞれ一つの参詣亭があります。2階の1辺の長さは48メートルあり基壇には高さ3.6メートルの30個の小仏塔が主塔の周りに群がるように建てられています。各小仏塔の中にそれぞれ一つの小金塔があります。3階の1辺の長さは30メートルあり、主塔は3階の半円形の基壇に聳え立っています。主塔の高さは45メートル、頂部には金箔で覆われていて、金色に輝いています。本堂を取り込む回廊は一辺85メートルあり、色々な仏像と文物が陳列されています。回廊は僧侶と参詣者の憩い所として利用されています。
伝承では3世紀頃インドから訪れたアショカ王の使節団がブッダの胸骨を納めるためにワット・タートルアンを建立したと伝えられています。初めは四角い石台の上に建てられた小さい仏塔でしたが、1560年、都をルアンパバーンからビエンチャンに遷都したラーンサーン王国のセーターティラート王が規模を拡張し、四方を四つの寺院に囲まれるような形で再建しました。工事は6年間かかって、完工しました。1828年にシャムの侵攻により損傷を受けましたが、1830年に改修されました。現在は北と南の寺院しか残らないです。北の寺院、ワット・タートルアンヌアはラオス仏教界最高位の僧侶の住まいです。