アンコール王朝の首都として真っ盛りな時に人口何百万もあった東南アジアの最も雄大な都市であり、何回も戦火に壊れて修復され、最終1426年に廃棄されたのです。全長12キロの外堀に囲まれているお城が真四角で、門が五つあり、四つがバイヨン寺に向かって一つが王宮勝利門に向かっており、上には四面に彫られた仏像が見えます。各門の外にお堀を横たわる橋があり、橋の両脇に正座する高さ2.5mの石像が27個ずつあります。南門のお堀に石橋が架けており、両側の手すりに54個の上半身石像が一列ずつあり、コブラを原型する巨蛇を持ってそれぞれ神様と悪魔を代表しているそうです。敵を防御するため百メータ広いお堀には昔鰐をいっぱい飼育したそうです。
お城の中央には世界の中心である須弥山を象徴するバイヨン廟が建てられ、中央の塔は林立する四面仏塔に囲まれており、仏像の神秘的で落ち着いている慈悲深い微笑みが回廊にある内容豊富な壁画よりも観客に深い印象を与えるでしょう。
また、このエリアにはバッポウン廟や空中宮殿や競象台など有名な建築があります。