中華会館
中華会館はホイアンで最も早いうちに建造した会館で、中国の明の成化年間(1465~1487年)に出来たと言われます。1741年間、「洋商会館」と呼ばれ、「江浙会館」とも呼ばれたことがありました。開館は福建、広東、海南、客家、潮州出身の華僑が合資して建立しました。中華会館は地元の華僑の共同会館として中華文化や伝統を受け継ぐ重荷を担っていました。会館の庭に入ると二列に並ぶ盆栽が見えます。そこに縁が黄色で白色の鉢は整然と並べられています。玄関に近い最も高く置かれた鉢の上に「公有、公治、公享」及び「民族、民権、民生」と書いてあります。両側にある庇は白い壁、緑の窓そして緑のポーチなどが清い感じを与えてくれます。近くの小さい建物の白い壁に「礼儀廉恥」という赤文字が書いてあり、大変目立っています。正面に「後天宮」があり、中に後天聖母である媽祖女神が祭られています。両側に観音菩薩や財産の神とされる神様が祭られています。館内に文字を載せた石碑が三つあり、一つは乾隆6年(西暦1741年)に各省の船長や商人が協議して建てた石碑です。内容が会館の由来について「会館の設立がかねてからのことで、公共の議事の場所だと言われますが、礼儀を重んじるところです」と解釈が続いています。二個目の石碑は咸豊5年(1855年)に設立したもので、頭門埠の修繕についての経緯を記しました。三個目の石碑は中華会館を修築するための碑記であり、石碑の碑文は会館の宝と言われる「5百年来残りの鼎」という記事に触れています。