シュエズィーゴン・パヤー(Shwezigon Paya)は11世紀に建造され、初期の工事がアノーヤター王(King Anawrahta、実在が確認されている王としてはパガン王朝の初代王、1015年3月生~1078年3月23日没、在位:1044年~1078年)により建造されたと言われます。彼はミャンマーで初めて小乗仏教を推し崇める人物で、バガン(Bagan)を大規模に営造した先駆者的リーダーでした。シュエズィーゴン・パヤーはやく1086年から1090年にかけてアノーヤター王の後継者であるチャンジッタ(Kyanzittha、在位1084年-1113年)の手により完成されました。チャンジッタ王はバガンの歴史おける最も偉大な国王だと称えられ、バガンの大規模な建設者でもありました。彼が下した命令に従い、バガンで無数の塔は建造されたことから、バガンを「400万の塔の都」と呼ばれます。
シュエズィーゴン・パヤーはミャンマーの宗教の建築歴史において最も意義のある建築物です。それはその後のミャンマー全土における仏舎利塔がすべてこの塔に倣って作ったものだったからです。そしてこの塔はミャンマーの伝統的宗教と小乗仏教との発展にとってとても重要な役割を果たしたと言えます。高さ40メートルのシュエズィーゴン・パヤーは四方にそれぞれ銅の東屋があり、中にそれぞれ美しい仏像が立っています。シュエズィーゴン・パヤーは頂上が高くそびえ、色彩りの装飾が施されています。それに塔の周りに数えきれないほどの小さい塔や東屋、台座などがあります。その中で「37聖霊」と呼ばれるホールが人々に親しまれています。伝説によると、アノーヤター王はミャンマー宗教の聖霊を代表できる37人分の彫像を塔の一番下のほうに安置し、そのあと台座の南西にあるホールの中に移したということです。そのホールを「37聖霊」と名付けられたわけです。現在、この聖霊を祭るホールはミャンマー人が礼拝する主な場所になり、観光客にも公開しています。だたしもともとの彫像がすべて盗難されてしまい、今の彫像は後で作り直したものです。