フエ王宮
フエ王宮「Hue Imperial City (The Citadel)」は北京の故宮に似ていて、最後の王朝である阮朝(グエンちょう、げんちょう)の皇宮として知られ、ベトナムにおける最大級そして完全に保存された古代建築群です。そのため国連のユネスコはここを世界遺産に登録したと発表しています。皇宮は南北の城壁が長さ606メートルで、東西の城壁が622メートルです。東西南北合わせて四つの門があり、それぞれ前にある門を「午門」、後ろの門を「和平門」、左側の門を「顕仁門」、右の門を「彰徳門」と呼びます。旗を立てるスタンドが城の南部の中心地にあり、午門の前に当たります。スタンドが西暦1807年に造られ、高さ17、4メートルあり、高く掲げられているから、郊外からどこでも見えます。午門の前の川に金水橋と呼ばれた三つの橋が架かっています。午門自体が五つの門が設けられていて上に「五鳳楼」と呼ばれた楼閣があります。皇城の中に大和殿はあり、基台の高さが2メートルで、間口が七つに開けられています。金メッキと朱色で装飾した柱に支えられ、地面が花崗岩で敷かれました。ここで皇族たちが祝祭日になると必ず最大な礼拝儀式を行うとされました。大和殿の前に青色の花崗岩で築いた二段の階段があります。文武百官の中で三品とされた官位以上の大臣が上の段に立ち、四品から九品までの役人が下の段に立つと定められました。大和殿の両側に歴代の皇帝を祭祀するための宮殿や祠が配置され、例えば太廟、兆廟、世廟、興廟、奉廟などがあります。皇城の中に紫禁城があり、大和殿の後ろに位置し、皇帝、皇后及び皇太子が居住する場所でした。ここは北京故宮の内庭の部分に当たるとして、女官と宦官しか入れません。 紫禁城は嘉隆皇帝が在位した時の1804年に建てたもので、当時宮城と呼ばれました。1822年に明命皇帝が紫禁城と改名しました。紫禁城は城壁の長さが324メートルあり、広さ290メートルもあります。壁の高さが3,72メートルあり、幅が0、72メートルあります。合わせて7つの門があり、前に大宮門があり、後ろに祥鸞門と儀仗門があります。東側に興慶門と東安門があります。西側に嘉祥門と西安門があります。紫禁城は二つの部分に分けられていて、前の方は皇帝が日常の政務を処理する勤政殿で、後ろの方に皇帝が居住するための乾成殿があります。それから皇后が住む坤泰宮、皇太子が住む光明宮、それにほかの妃たちの住む順輝院などが並んでいます。アメリカがベトナムを侵略した時、フエ王宮が大いに破壊されてしまいました。