ガイティン帝廟
ガイティン帝廟(Tomb of Khai Dinh)は1920~1930年の間に建造され「応陵」とも呼ばれます。ガイティン帝は1916~1925年の間在位し、陵墓がまだ完成が終っていない時に崩御したことになります。その後の工事を彼の息子であるバオダイ(Dinh Bao Dai)が受け継ぎました。陵墓が小高い丘に築かれ、日字型に分布しています。三段階に分けた階段が合わせて127段が敷かれています。各段階の手すりに四匹ずつの龍の模様が彫られています。陵墓の建築様式が強くヨーロッパからの影響を受けたと言われます。最も目立つのはふんだんに使った焼き物やガラスの破片で鏤めたモザイク様式の装飾です。ガイティン帝廟はこれで20世紀初期におけるベトナムのトップクラスの作品に輝きました。本殿の前にバオダイ(Dinh Bao Dai)が父親のために建てた功績賞賛の巨大な石碑があり、本堂のなかにガイティン帝の等身大の銅像が安置されています。残念ながらその日にライトが付いていなかったです。さもなければ内装は煌びやかな光景になるのではないでしょうか。天井に白黒の雲に隠れた龍の模様が施されています。記載によるとガイティン帝は生前、国に貢献したことがなく、人民を無理やりに労役させ、国の多くの財産を費やしたと言われました。しかし現在見事に保存されたガイティン帝廟は逆に国の財政に貢献していると言えます。ガイティン帝廟は規模が小さいですが、皇帝の陵墓の中で最も精緻なもので、堂々たる風采です。山の勾配に従う三段階に築かれ、次第に上がっていきます。玄関の側に二列の彫刻が有名で、よくベトナムの絵葉書に乗せられます。ガイティン帝は傀儡皇帝として9年間だけ勤めて亡くなりましたが、彼の陵墓は何と11年間を費やして造っていて1931年に完成に漕ぎ付きました。陵墓の建築風格は東西の技法をミックスさせ、あたかもヨーロッパの砦のようで、ほかの陵墓と違います。入り口から龍の模様付きの階段が陵墓の前の庭につながるように敷かれました。上の高台に上がると象や馬などに見立てた石の彫刻や文武百官の像が並んでいます。真ん中に中国語で書いた石碑があり、バオダイ(Dinh Bao Dai)が父親の、ガイティン帝のことを偲ぶ記事です。陵墓の上の方の高台に等身大のガイティン帝の銅像が安置されています。陵墓内部の床に彩りの瓦が敷かれています。壁にも巨大な龍の図案が目出度い色彩で描かれています。廊下の両側に花模様のタイルや瑠璃瓦で組み合わせたカラフルな壁画があり、多くの物語りを伝えています。