トゥドック帝廟
トゥドック帝廟(Tomb of Tu Duc)は阮朝(グエンちょう、げんちょう)における最も美しい建築群の一つです。前後3000人を起用し、22年も費やして築いたものです。詩作に長じるとされたトゥドゥック帝は自分の趣味に合う場所を選んだと言えます。歴代の阮朝(グエンちょう、げんちょう)に努めた皇帝のなかで最も博学的で最もロマンチックな帝王のキャラクターを見せてくれました。当時トゥドゥック帝が内外からの危機を避けようとして第二の宮殿としてこの寝殿を建造するよう命令を下しました。工事を始めた際、トゥドゥック帝が自らこの陵墓を「万年机」と命名し、その後「謙宮」と改名し、崩御したあと、謙陵と改めました。謙宮門の裏にある区域は皇帝の憩いの場所とされます。真ん中にあるのは良謙殿で、昔皇帝がここで事務を処理したところでした。現在皇帝の母である慈癒皇太后を祭る場所に変わりました。良謙殿の後ろに温謙堂があり、皇帝の身の回り品を預ける場所でした。特に良謙殿の左側にある鳴謙堂が今までベトナムで最も古い劇場として大事にされています。トゥドック帝廟を巡る陵墓区域は一見すれば少し廃れたような感じですが、開放された1975年の当初、阮朝(グエンちょう、げんちょう)の遺跡を皆、封建時代の象徴物と見なし、保護を疎かにした結果に至りました。90年代になって初めて国の文化遺跡に見直されました。そして1993年にようやく順化を国連の文化遺産に登録された運びとなりました。トゥドゥック陵墓はまるで巨大な公園のようで、最も目立つのが調和のとれた点です。神殿区域と陵墓区域にある50余りの建物には「謙」という文字で命名したのが殆どです。参拝の庭に二列の威厳な顔をしている文武大臣の像が並んでいます。後ろの方に石碑を納める東屋があり、中に重さ20トンもする石碑が立っています。上に4,935の漢字で書いた「謙宮記」が刻まれています。「謙宮記」はあくまでトゥドゥック帝の生活や権力、病気などについての告白書だと認められています。